40代転職体験談まとめ

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「攻めの転職、逃げの転職、やむなく転職」 あなたならどうしますか?

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あなたの転職はどのタイプ?

 

 

はじめに

私はサラリーマン人生で3つの転職「攻めの転職、逃げの転職、やむなく転職」を経験しました。



大学卒業後千代田生命に入社、営業所長職をメインに19年勤務しました。毎日大変な思いで営業所長として頑張って公私ともに充実した日々を過ごしていました。



そして40代に突入した2000年10月10日 体育の日で祝日、朝6時会社経営破綻を新聞朝刊一面で知ることとなりました。



お客様対応が一段落した後でも千代田生命の存続、新会社立ち上げや外資が買収するかなどすべてが不透明な中でこのまま今の会社に残るか否かの選択を迫られました。



果たしてその時の決断が正しかったのかどうか?



攻めの転職・・・千代田生命からA損保子会社へ

当時は山一証券経営破綻により金融機関も潰れるという印象が人々に植え付けられていました。インターネットはまだ普及していませんが、週刊誌や世間の風潮も「次はどこか?」「自分が契約しているところは大丈夫なのか?」「潰れたらこれまで掛けてきたお金はどうなるのか?」という話題で持ちきりでした。



営業現場でも本社でも会社の行く末に不安を感じ、優秀な人材が他社に転職したり、引き抜かれたりしていました。



実際経営破綻公表後も人材流出は加速していました。



私自身もその流れに乗り遅れまい、また外資に買収されたら大規模リストラが行われると考え、妻に相談のうえで転職を決意しました。



帰宅後や休日にリクルートエージェント等いくつかのサイトに登録して検索しましたが、生保営業所長の募集はひとつもありませんでした。そのため生保・損保営業関連職を中心に応募しました。



実はこれら5社の応募でどこも決まらなければ、縁が無かった、評価されなかったと考え千代田生命に残ろうと決めていました。



そのような状況で複数回の面接の後、A損保子会社に内定をいただきました。

 

 

人生初めての転職かつ初めての単身赴任で、最初の3ヶ月は充実した会社生活と気楽な単身赴任生活を送っていました。しかし半年くらい経ったころには、慣れない業務の難しさと家族と離れて暮らす寂しさを感じるようになりました。



営業先への出張名目で帰阪して土日に自宅に戻りました。しかしすでに妻と娘2人の生活リズムが固い絆で出来上がっており、私が帰宅しても、どこか他人の家に帰ってきた感じで浮いてしまっていました。

 

 

生命保険以外売ったことのない私にとって、機器販売営業とコンサル実施は慣れないことばかりで戸惑いました。



特にコンサルレポート作成は、卒論すら書いたことのない私には苦痛以外のなにものでもなかったと記憶しています。



決まった雛形があるわけでもなく、コメント文章を一から作ることに苦心しました。上司から見れば中途半端な出来で、毎日叱られ何度も書き直しを指示され、休日に図書館の自習室に出向き時間をかけて取り組んでもうまく書けませんでした。



その結果私は徐々にやる気をなくし始めており、この先ずっとこの仕事で毎日プレッシャーを受け続けるのか?という迷いと不安が芽生えました。



一番こたえたのは、「○○さんひとりを採用するために、リクルートエージェントに100万円以上支払った。こんなことなら、次の候補者にしておけば良かった。」と言い放たれたことです。



こんな会社にはもう居たくないと思い再度の転職を考え始めました。




逃げの転職・・・A損保子会社からAIGへ

千代田生命からA損保子会社に転職後は、私が東京で単身生活を始めたため元千代田生命同期数人と飲む機会があり、お互いの近況報告と情報交換をしていました。



やる気を喪失し嫌気が差し始めていたちょうどその頃、同期のうちの一人から飲みに誘われました。



「千代田生命からAIGに移行し会社も軌道に乗ってきたが、新会社は営業所長経験者を求めており、元千代田が何人かすでに戻ってきている。



千代田生命時代に中規模以上の営業所運営を任されていたメンバーを呼び戻すよう言われている。戻ってこないか?」との誘いがありました。



 

私は、新会社の考え方・人事制度・千代田生命時代から大きく変わったこと等説明を受けつつ、不安な点について納得いくまで質問しました。

転職したい気持ちは自分でも驚くくらいのスピードで増幅していきました。

 

(本心は、プライドをズタズタにされたA損保子会社から早く逃げ出したかったからだと思います。)



A損保子会社を退職してAIGに転職した結果単身赴任も解消でき、家族4人での生活を再スタートしました。



AIGでの人間関係は、千代田生命時代の同僚・先輩・部下がいて、名前だけ知っていた人もいたため、スムーズに馴染んでいきました。



営業所長として大変な面は以前と変わりませんが、わからないことは何でも聞きやすく外資文化を教えてもらえたため、仕事はやりやすかったと記憶しています。



日本の生保と外資の生保では、考え方・お客様へのアプローチ方法・重視する項目が違うものの、概ねその意味を理解でき実績にもつながりました。



業務にも社内風土にも慣れ、このまま定年まで勤めあげようと考えていました。

 

 

やむなく転職・・・AIGからM損保へ

私は営業所長を務めた後、教育担当職として勤務していました。

新たに入社してきた男女営業員候補者を生保資格テストに合格させるよう指導する業務です。



入社後の継続研修や支社の営業成績集計、会議の準備作業にも携わっていました。



しかしAIGグループ内での生保合併が頓挫した後、状況は一変J社との合併が決まりました。



3つの生命保険会社が一つになり、私は吸収される側の会社のため厳しい待遇になることは覚悟していました。



しかし、私が新入社員研修所教官時代に教えた後輩(今の直属の上司)から「次の新会社に○○さんの席はありません。」と面談で告げられました。



私にJ社での継続勤務という選択の余地はなく、容赦ないリストラを受け入れざるを得ない状況で望まない転職を余儀なくされました。



在職中からパソナキャリアに登録、ハローワークや人材銀行での検索・応募をしましたが退職までに内定はもらえませんでした。



人生初めての失業保険を受け取りながら転職活動に没頭しましたが、年齢と経験がネックとなり思うように決まりませんでした。



パソナキャリアでは担当コンサルの献身的な指導を受けながら生損保のみならず、全く未知の業種にも応募した後、ようやくM損保の内定を得ることができました。



前任者との引継ぎはわずか6日程度で、全く初めての業務に周りの助けを得ながら取り組み始めました。

 

 

まとめ

現在の勤務は基本的に転勤なくずっと自宅から通える環境で、家に落ち着くことができました。娘の結婚等節目の時も、そばで見守ることができ満足しています。このまま65才まで継続勤務したいと考えています。



配属先での人間関係もいろいろありますが、今は1年でも長く勤めることだけを考えて、周りから何か言われても、抵抗することなくやり過ごして、平和第一主義に徹しています。



その方が私の心の健康状態も保たれている感じです。



達観とまではいきませんが、あきらめでしょうか?



AIGリストラ退職後は結局11ケ月転職先が決まらず、精神的にもかなり疲れました。その大変な経験から60才を超えての転職は絶対避けたいと思っています。

 

 

各地に緊急事態宣言が発令され、新規感染者数が毎日のように記録更新されています。勤務先の将来が心配で転職を考えておられる方も多いと思います。そのような方々に私自身が現在に至るまでの転職経緯をお伝えし、なんらかの参考にしていただければ幸いです。

 

 

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